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岩木丸(いわきまる)〔船名読みは『昭和十七年版 日本汽船名簿』による。〕は、かつて北日本汽船/大阪商船〔合併を繰り返し、2015年末時点では商船三井。〕が運行していた貨物船。太平洋戦争中、海軍省により徴傭され輸送任務中に撃沈された。 船名は、北日本汽船/大阪商船が取得した船としては唯一のもの。 ==船歴== 北日本汽船から播磨造船所に発注され、1941年3月15日、播磨造船所相生工場で建造番号303番船として起工。1942年4月28日、進水。6月29日、同所で竣工。 1942年12月8日、横須賀在泊中に海軍省により徴傭され用途雑用、横須賀鎮守府所管となる。同日、東京へ回航。11日大井、同日鳥羽、14日呉、16日大阪、19日門司、23日大連、31日所安群島にそれぞれ寄港。 1943年1月5日横浜、11日室蘭、19日函館、22日東京、26日横須賀にそれぞれ寄港。 2月2日父島、6日硫黄島、28日父島にそれぞれ寄港。 3月4日横須賀、11日函館、12日小樽、16日函館、20日東京、27日小樽、31日函館にそれぞれ寄港。 4月3日東京、13日小樽、18日油谷湾、20日大阪、22日広畑、26日八幡、29日長崎にそれぞれ寄港。 5月2日佐世保、7日群山、10日青島、19日徳山、23日大阪、28日門司、29日釜山にそれぞれ寄港。 6月6日大湊、11日函館、16日釧路、21日択捉島天寧、25日松輪島、27日幌筵島武蔵湾、30日占守島長崎湾にそれぞれ寄港。 7月1日占守島片岡湾、5日武蔵湾、7日幌筵島擢鉢湾、8日武蔵湾、24日小樽、26日函館、31日青森にそれぞれ寄港。 8月4日小樽、9日片岡湾、12日武蔵湾、20日擢鉢湾、31日幌筵島乙前湾にそれぞれ寄港。 9月5日函館、9日青森、同日大湊、16日小樽にそれぞれ寄港。20日から21日まで神風の護衛を受ける。21日武蔵湾、同日擢鉢湾、30日武蔵湾にそれぞれ寄港。 10月11日片岡湾、13日擢鉢湾、17日武蔵湾、18日片岡湾にそれぞれ寄港。20日、石垣の護衛を受けカニ漁母船笠戸丸らとともに幌筵発。24日小樽、26日函館、31日青森にそれぞれ寄港。 11月4日小樽、10日片岡湾、12日武蔵湾にそれぞれ寄港。武蔵湾在泊中の16日、北日本汽船は大阪商船と合併。23日擢鉢湾に寄港。 12月15日片岡湾、23日武蔵湾にそれぞれ寄港。 1944年1月19日釧路、25日室蘭、31日六連にそれぞれ寄港。 2月2日大阪、4日相生にそれぞれ寄港。7日から3月30日まで播磨造船所で入渠修理を実施。 4月1日徳山、7日門司、9日美保関、10日舞鶴、13日大湊、14日室蘭、24日大湊にそれぞれ寄港。 5月3日片岡湾に寄港。5日、神風の護衛を受け大湊へ向け幌筵発。10日大湊、同日函館、13日大湊、19日小樽にそれぞれ寄港。20日、ネ船団に加入し松輪島へ向け小樽発。24日、松輪島着。31日松輪島を出港したが、同日松輪島大和湾に帰着〔1944年5月31日の出入港は『大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第五回』による。本船が31日に小樽へ向け出港した復航ネ船団に加入していたかどうかは明らかでない。駒宮『戦時輸送船団史』p. 185には、本船の船名は記されていない。千島方面根拠地隊戦時日誌、大湊警備府戦時日誌にも記載は無い。〕。 6月1日大和湾で揚陸中、湾内に侵入したアメリカ潜水艦ヘリングの攻撃を受けて魚雷2本が命中し、沈没した。沈没の際、船員30名が犠牲となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩木丸 (1942年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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